8月10日からのことを書いています。10日のことは、昨日の日記を参照して下さい(ややこしくてごめんなさい)。
8月11日。
前日から、亡くなった叔父の弟にあたる叔父の家に泊めてもらった。
明け方3時まで話は尽きなかったけど、皆、このあと葬儀があるので、休んだ。8時半起床。普段、こっちに来るとみんな6時半起きなんだけど、この日は誰も起きられなかった(疲れてて)。
ゴハンをゴチソウになったあと、やや時間があるので、

肉球で遊んだ(笑)。

肉球の主。この家の愛猫。
なかなか力づよい猫で、頭をこすりつけてくるんだけど、どうしても「頭突き」されてるような(笑)。
義兄以外は全員猫好きなので、かまって遊ぶ。
特に私の夫。無類の猫好き。
私たちがこちらへ来ている間に、叔父と叔母が、祖母の家へ来る時は、夫が猫好きなので、前はちょくちょくこの猫を連れてきてくれた。祖母が猫ぎらいなのだけど(笑)。
最近は叔母が忙しかったり、猫が車酔いしたりで、連れてこられなかった。しばらくぶりに会えて嬉しかった。
11日の、グミの実の写真は、この叔父の家のお庭になっていたもの。デザートに戴いた。私は初めて食べた。渋いことは渋いけど、けっこう好きかも。
お昼あたりから、移動。
車で1時間半ほど離れた叔父(亡くなった)の家へ。
日程の関係で、12日がお通夜、13日が告別式となった。この日は叔父の家にて仮通夜。
私たち札幌組は、ここからも1時間ほど離れた祖母の家へ泊まる。そこへ移動する途中で寄った(通り道だから)。
そこで、喪主である叔母や、施主である長男と、いろいろ打ち合わせて、仮通夜は、大勢人が来るし、入りきれないかもしれないし、私たちがこのあと祖母の家へ移動してからまた夜来るのは大変だろうということで、仮通夜への参列は控えることにした。
亡くなった叔父は小さな町に住んでいて、地元や、お友達が遠方からも大勢くるみたいだったし。
姉夫婦は初めて叔父と対面。
そのあと、明日のことなど話してから、札幌勢は祖母宅へ移動。
祖母の家へ。
祖母と話をしてから、札幌組は銭湯へ行く。
祖母の家のあたりも暑かったし、お通夜、告別式の間、入れないかもしれないので。でも、今入っても、すぐ汗かきそう…。
とりあえず、銭湯で、さっぱりする。
しかし、銭湯でも、母が、知り合いの方に会って「義弟の○○ちゃん、大変なんでしょう?」と声をかけられる。入院したことまでは知っていたらしい。亡くなった叔父も、この町に暮らしていたから、ほとんどが知り合い。せまい町なので、すぐわかることだから、母が、昨日なくなったことを話すと、絶句していた。
あとで聞いた話なんだけど。
叔父は母より2歳年下だけど、つい2週間ほど前に、同期会をしたそうで、そのメンバーと会ってから、家に帰って「みんなどっか体を悪くして、薬を飲んでいる。薬を飲んでないのは俺だけだ」と嬉しそうにしていた、と、叔母が言ったそうな。
胸のつまる話だった。
祖母の家で、あちこちから電話がきたりするのに応対しながら、また飲む。
12日は3時から湯潅だそうで、その30分前に着くように出ることにする。
祖母の家のとなりに住む弟も来て、みんなで宴会。ほんとに忙しいのは喪主の家だけなんだなあ。
夫は一応経験済みなので、いろいろと段取りはわかるみたいだけど。
12日。
午前中は、母の実家の方の姉妹の家へ行く。報告する。もう知ってはいたみたいだけど。ほんとに、せまい町なので、どこそこの誰それが、というのはすぐ伝わる。みんな、子供の頃からの知り合いだし。
お通夜に、この町からも、大勢来るんだろうなと思った。
祖母の家は、午前の時点で室温34度を越えていた。
街の中にある温度計(デジタルの)は「36.6度」をさしていた。嘘でしょう…ここは、北海道の中でも特に寒い道東のはずなのに。
1時半に、祖母を連れて叔父の家へ移動。
ところがまあ…暑い!!ものすごく暑い!!
今回亡くなった叔父の家あたりは、真夏でも、昼間の気温は最高でもせいぜい28度ぐらいで、朝夜は寒くて長袖を着るような感じなのに…だからこそ、お通夜とかも「あそこは気温低めのはずだから、わりと涼しいのでは」と、甘い期待を抱いていたんだけど…。
叔父の家、室温(多分)32度ほど。ああ…溶ける(笑)。温度計を持ち歩けばよかった。絶対32度以上はあったはず。
叔母や従妹が「暑くてすみません」と恐縮されてるんだけど…ほんと暑い。
この暑さの中、着替えるのか…喪服に。
叔父には悪いんだけど、なんだか、違う意味で泣けてきた。
3時に業者の車がきて、湯潅。室内に入りきれないので、私たちは、従弟の部屋で待機。扇風機は回ってるんだけど…暑い。
そうこうしてるうちに、他の親類たちも集まってくる。
ここ3年ほど会ってない従弟一家が来る。子供が大きくなっていた。
みんな、涼しいところに住んでいる人ばかりだから「暑い〜」と、へたばっていた。
湯潅がすんで、棺をお通夜の会場へ運ぶ。
お通夜会場は、叔父宅から徒歩2分。なので、私たちは、叔父の家へ車を置いて、歩いて移動することに。
5時から、お通夜会場にて夕食だというのだけど、みんな、なるべく、着替えたくなくて(笑)なるべく時間をのばしていたけど…。
4時すぎて、とうとう、覚悟を決めた。
しかしまあ…全身汗でべたべたなので、喪服の裏地がはりついて、一人じゃ着られない。母に手伝ってもらう。ストッキングもつけるのに苦労した。
それから、歩いて会館まで移動。
予想できたことだけど…もちろん会場は冷房なし。この土地で、冷房なんて(普段では)必要ないからなあ。たった数日のためにつけることはしないんだろう。
したがって…喪服に全身はりつかれ、気持ち悪いし、何より会場に大勢人がいるのでまた室温が上がるし。扇風機は何台かあるんだけど…。
広い分、叔父の家よりはやや気温は低い感じだったけど…このあとお通夜、どうなるのか。
食事を終えて、親類たちと世間話などしてたら、だんだん参列者の方が来る。人が増える。暑くなる。………。
叔父には申し訳ないけれど、私は、暑いのが何より苦手なので、できれば早く脱ぎたいと思っていた。叔父さんごめんなさい、悪気はないんです…ただ、もう少し、涼しくなっていただければ…。
ハンカチじゃ追いつかず、フェイスタオルを持参して、汗をぬぐいつつ、座る。タオルなんて非常識かしらと思ったけど、あの場で、そんなことを非難がましく言う人はおそらく一人もいないだろう。みんな暑かったのだから(笑)。
お坊さんも、何枚か重ね着してるように見えるんだけど…暑いだろうなあ。見ると、頭から首の後ろに、玉の汗が。
読経がおわって、葬儀委員長の方のご挨拶が終わって、そのあと親族で写真撮影。はあ、やっと脱げる!!不謹慎ながら、そんなことを喜んでいた。
会場の控え室も狭いので、私たちは、叔父の家で着替えさせてもらうことに。8時過ぎなので、もう、真っ暗。でも、星がいっぱいあるので、そんなに暗い感じはしない。
着替えた後、会場までの2分間、星を見ながら歩いた。
夫が「今、流れ星が」と。えっ!!
夫が言うには、12日か13日の夜に、ペルセウスのなんだかで、流星がいっぱい見られるんだとか。
普段札幌では星がよく見えないので、5月や、8月にこちらに来るたびに、夜は外へ出て星座観測するんだけど、そんなことを聞いたら、見ないわけにはいかないじゃないか!先に言ってよ〜。
首が痛くなるほど空を見上げて待つ。待ち構えていると、流れない(笑)。しかし、待っていると、ほんとに見えた!!
合計5つ見た。夫は7つ見たらしい。あれって、まばたきしてる時間もない(笑)。願い事をとなえてる時間なんてあるわけがない。でも嬉しかった。
夫が「叔父さんがこんなことになると思ってなかったからね、11日からこっちに来る予定だったでしょ。今日あたり見られるって知ってたから、こっちにきたら見せてあげようと思ってたんだ」と。祖母の家と、ここでは、星はほぼ同じぐらいよく見える。結果的に見ることはできた。
あと1時間ほどねばってたら、もっと見られたと思うけど、首が痛いし、お通夜会場に戻らなきゃなんなかったし。
でもしばらくぶりの流れ星に大興奮だった。
会場にもどって、みんな涼しい服に着替えて、歓談。
この頃になると、しめっぽくならず、みんな陽気だった。
遺影の叔父を見ても、まだ、実感がわかなかった。
あそこに写真が飾ってあるだけで、あとで、来るんじゃないかって。
父や、他の叔父たちと、テーブルをかこんで飲んでいると、叔父がひょっこりと「兄貴たちが来るって聞いたから、蕎麦持ってきた」と、現れそう。
そう、叔父は、いろんなことをする人だったけど、蕎麦打ちは特にすごかった。
叔父が蕎麦打ちを始めた頃、まだ私たちは結婚して間もない頃だったんだけど、祖母の家へ行ったら、叔父が、蕎麦打ち道具一式持参で、目の前で打ってくれた。
蕎麦うちに興味のある夫が、教わっていた。夫も叔父なみに器用で、何をやらせてもすぐこなしてしまう人なので、教えるのが楽しかったみたい。嬉々として教えてくれていた。
夫も、最近は忙しくて、なかなか打てなくなってしまったけど。
この、叔父が蕎麦うちを披露してくれた時に、うちの父が、ビデオを撮っていた。あとで聞くと、夫が、蕎麦うちの工程を忘れないように、ということで、撮影を思いついたそう。その後、夫は、覚えちゃったので、そのビデオはあまり見なかったんだけど、父からもらって、うちにある。父のところには原本がある。
あのビデオに、元気に蕎麦を打っている叔父が写ってるから、叔母にあげれば喜ぶのじゃないかと思った。
父に「あのビデオ、叔母さんにもあげた?」と聞くと「それはあげてないかも。あれは、おまえの旦那さんが蕎麦うちを覚えるために撮影したつもりだったから」と。
その話を叔母にすると喜んだ。今度、送ってあげなければ。
生前の叔父が写ってるビデオは、この、父が撮影したビデオぐらいなので。こういうつもりではなかったけど…これは、父の、大ホームランだったなあ。
今回、お通夜会場でも、みんなで話したことには、
「これでもう、○○さんの蕎麦が食べられなくなったなあ」だった。
私は内心吹き出した。みんな同じこと考えてるんだ。
でも、人が亡くなるって、そういうことなのかもしれない。
前に、お菓子研究家(今は政治家でもあるけど)の藤野真紀子さんが、料理番組のテレビで仰ってたこと。
おばあさまから伝わる料理があって、藤野さんのお母様、そして藤野さんと、その料理は受け継がれたんだけど、作り方を習っても、作る人間によって味が微妙に違うのだと。私の作る味は祖母や母には作れないし、祖母や母の味は私には作れないと。で、おばあさまが亡くなられた時に、「もう祖母の味は食べられない。その時に、初めて『祖母を失った』と実感した」と話されていた。
うちの夫も、叔父に蕎麦打ちを習ったけど、叔父の蕎麦と、夫の蕎麦は、やっぱり違う。叔父の蕎麦は細くて更科みたいに上品なんだけど、うちの夫のはやや太めでワイルドなのだった(あ、夫の蕎麦が、太くて下品だって意味じゃないですよ汗)。「かえし」も、叔父のレシピでは、東京生まれの夫にはやや甘めらしくて、かえし制作担当の私に「もうちょっと醤油濃い目にして」と言われて、うちではそのレシピに落ち着いている。
こんなふうに、作り方を教わっても、作る側で、味が変わる。
もう、叔父の蕎麦は食べられない。そういうことなんだ。
…なんだか、長くなりすぎましたので、ここでいったん切ります。
こちらもどうぞよろしくお願いします。
留守にしていて、ランキングが思いっきりダウンしてます。ぽちってしてくれると嬉しいです〜。

